ごきげんよう。こんばんは、読者の皆さま、樋口昌紀は元気ですよ。いろいろあったけど、元気です。あなたも元気ですか?俺に心配されてもね。
梶原の山のふもとにある。ピッコロ保育園に2歳〜6歳までいた。原始人を育成するかのような場所にあって、毎日がランボーだった。時が来て、下界へ降りて小学校に行くわけだが。誰も知ってる顔などないので、本当に一人の入学式であった。しかし、孤独感はなかった。
前置きが長くなってしまった。親の職業ですよ。今はそういうのに非常に過敏であるから、「お父さんのお仕事は何〜」なんてクラス全員に聞くなどという事はないと思うが、そういえばいろんな友達の家に行ったけど、比較的お父さん在宅率が高かった。一様に影があり当時でも古い文化住宅に住んでいた。子供ながらに「そういう事なんや。」と気で読み取っていた。
僕が自分の家が自営業だと認識したのは、小学生だったと思う。「あ、うちの父ちゃんは会社に行ってへんねや。」ピアノ屋である。なんとなく、みんなと違う気がして嫌だった。
紆余曲折あったが結局、継がなかった。それで良かったと思っている。一代で終わるピアノ屋。親父とおふくろの人生そのもの。皮肉なものだね。あんなに嫌だった自営業をしている俺。子供たちにはどう写っているんだろう。一応働いていると思っているのかな。

ミドリ楽器近影。
2019年ミドリ楽器にいた頃。
樋口商店
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